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三宅 blog

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2005年 10月 05日

答は藪の中 2




(『答は藪の中』が冗長すぎたので、前編と後編に分けて掲載します。)



答は藪のなか。
黒澤明の「羅生門」とはそれをよく表わした映画だと思う。
僕は高校生の時にこの映画を観て、そういった感覚を学んだ。

それをさらに突き詰めて、
強烈なポジティブバイブレーションとともに放ったのが、
ブッダ氏であろう。
僕は、仏教とは原始的にはそういうものだと認識している。

すべての存在が、
ただ其処に在る。

この事実だけは誰にも否定できない。

「だから、それをまず心の中でよどみなく受け入れなさい。」
そういうことを、ブッダ氏は言ったんだと思う。

これはもはや、一人一人の心の問題であるから、
「教える」とかそういうものじゃない。

自分で「気づかない」と意味がない。
しかも毎日。

にもかかわらず金払って教えてもらおうとする人も、
金とって教えようとする人も、いつの時代もとても多い。

教科書もお経もお布施もないから、
僕は将来曹洞宗の禅をおさめたいと思っている。

答を毎日自問自答しなさい。
とだけ教える宗教。
超セルフサービス。
そうしてその答探しそのものが「答」であることに気づくのにそんなに時間は要らない。

元来人間全員が神などと言う想像物を媒介しなくても
宇宙を感じたり真理を感じたりできるはずである。
その可能性が在る、ということがわかっているだけでも死ぬまで心強いものである。

近頃座禅を組んでいない。

今晩あたり、少し。チャクラ全開で~。






10月の番組再編前の最終週たる今日は、ぽかんと空いた休日。
天から降ってきた24時間。
しかも昨日までは「番組ある」と思っていたからなおさらである。

秋葉原にパソコンを買いに行った。
「インターネットができて音楽のデータが使える一番安いやつ」
を探して、5万円台で購入。

最初期タイプのアイマックを貰って使ってたが、
一昨日風雅(今日で0.5歳!祝。)が落としてキーボード壊れたから、
かねてからさすがに買い換えようと思っていたので、
「インターネットができて音楽のデータが扱えて一番安くて、今よりも通信速度の速そう」なやつを探す冒険に出た。

「楽器といえば御茶ノ水」
「電化といえば秋葉原」
とはいえ、そこまで頻繁に行くわけじゃない。

とはいえ、電車で40分ならこういうときはやっぱAKBである。



いやー。
3時間くらいのあいだに6店舗くらい見て。

周りに一緒に来てくれるようなパソコン君も少ないし知識ないし、メカ音痴だがなんとか上記の目的に沿いそうなものをみつけて購入。

プロバイダー契約すると2万円割引だったから
サヨウナラyahoo BB。
こんにちわ、小野伸二。



いやー、メカ音痴は秋葉原は緊張する。
筋金入りの秋葉原系の皆さんはかなりマニアックな会話を繰り広げているのに、
横で俺は「256Mって何だ?」とかなっていて。
ウッキー。
お猿さん状態。


僅か9ヶ月のサラリーマン時代には、一応エクセルなどの講習受けて使っていたが。
楽器やレコードばっかり触って、
パソコンはネット以外使っていなかったものだからてんで疎くなっていた。

組み立てキットなどを観て感動。

パソコンは次なる時代の大いなる道具であり、
大いなる障壁となるだろう。

だから、これは大いに勉強したほうがよさそうだと感じた。

ニューオリンズやテキサスで、ハリケーンから逃げ遅れて死んだ人々は
テレビやパソコンなどが生活から遠い貧乏人や年寄りが多かったと報道されている。

情報格差がそのまま生き死にに直結する「平等」な社会。
日本も似てる。
世界はその国をがんがん真似している。

一石投じるにも、パソコンくらいは使えないといけない。

ペンは剣より強し。

答は今日も、藪の中。

写真:風雅、今日で生誕6ヶ月。ひたすら「無心」の境地でエアロビクス中。ここから一回迷って、また戻れるのは何時の日になるのだらうね。

答は藪の中 2_c0009950_222255.jpg


# by dogggystyle | 2005-10-05 02:07
2005年 09月 29日

招待者アリジャン

10月のnbsa+×÷2に、
アフガニスタン難民のアリジャンを招待しています。

こられるといいのだが。

難民認定を求めて裁判中の身です。

社会のシステムというのは、人間が作ったものだから
どうしても不備があって
不運な歪みの犠牲になる人が
必ず存在してきました。

日本の法務省や外務省の思惑が複雑に入り乱れる国際問題でもあるから、
難民問題に一概にコレという安易な答えは出せない。
結果、やたら待たされる。

出口のない宙ぶらりん。

社会市民としての権利を何も保障されないまま、
「居てもいい」が「仕事はしてはいけない」とか
小学生の喧嘩レベルの理不尽な条件を突きつけられる。
働かないで、どうやって生きていくというのだらうか?
保険もないから、お金がないと病院にも行かれない。

結果、無断で働くとそれを理由にある日突然「拘留」される。
刑務所の何倍も人間性を剥奪される無機質な施設で、
無期限に拘束されている人が、ものすごい数いるわけです。

何ヶ月、何年、何十年。
気が狂ってしまう人もいます。

ほかに道はというと、
政治的状況や主義信条から「命に危険を感じた」からこそ
逃げ出してきた母国に帰れ。
ということ。

これは、日本の入国管理局は遠まわしに彼らに対して「氏ね」と言ってるわけであります。



状況を説明するしかできないので、
我々に何が今すぐできるということもないのだが、
とりあえずアリジャンという存在を通して多くを知ることができます。

昨年踊り狂ってたクルド人難民の若人たちは、
その後国連の難民認定を得ながらも
日本政府によってトルコへ強制送還されて軍隊に強制入隊させられているラモや、
いまだに品川だか牛久だかに拘留されているアリチカンなどなど。

ただの陽気な若者たちですよ。
サッカーとか踊りにやたら熱い。

政治っちゅうのは、マクロな視点が致し方ないわけであるが、 
ミクロな心情を押しつぶして成り立つようなものであってはならない。



JICAの若松、村田コンビや学生NGO風の会の池上くんたちによる展示ブースも
予定しております。

意義ある人生と物事の深みを何時までも追いかける
そういった類のライフタイムトラベラーの皆さんには、
本当の意味で「楽しんで」もらいたいので、
いろいろ感じたり考えたりして、
スピリチュアルな「お土産」をたくさん持って帰ってほしいと思っています。

街に転がるいろんなリアル。
それが集まったモザイク模様みたいなものかもしれません。
nbsa+×÷とは。

惜しみなく提示していきます。
nbsaはショーじゃありません。
僕らという音楽の周りの数多の「生き様」なんです。

その一人が、アリジャンでもあったりして。

難しいことだが、
別に難しく考えなくても
何が正しくて何が間違いかは
誰にでもわかる。

紋切り型の善悪の二元論じゃない。

簡単なんです。
問題は、此の世には人の痛みがわかる人とわからない人がいるという事です。

後は、この日は「踊るだけ」なんです。
そうした瞬間の積み重ねが、人生において大事なんです。

現実直視しながら、ファンタジーに生きるのが、ベストです。
人生とは、そんなものであったらいいと思うのです。

いろんな人生がフロアで交錯する事に、一番意味が在る!!

# by dogggystyle | 2005-09-29 08:03
2005年 09月 28日

答は藪の中 1

此処一年あまり、火曜日といえば「テレビの日」だ。
我が家では「テレビの日」か「すぺしゃ行く日」という。

かよが「あれ?洋平明日すぺしゃ行くだよ!」といわれて初めて「今日が月曜日」と認識していたくらいだが、近頃では身体が火曜日を覚えた。

曜日とか時間の概念を一度無意味に捉えてしまった経験があると、集団行動が苦手になる。
ゆったり落ち着いて生きたいが、最低限協調性がないと話にならんわけで、
スペシャのVJやるようになってから、少なくとも「火曜日」は覚えた。

ライブがよくある曜日だから、
なんとなく「金曜日」と「土曜日」はイメージとしてある。
「火曜日」はそのアンニュイな存在感とともに、
最近の僕にとっては欠かせない曜日になっている。






今年の四月からSTUDIO GROWNは「1時間」に拡張されたから、
それまでよりも影響力が増してきて、
なんだか一回一回の生放送でとてもエネルギーを消費するようになった。

確かに、ブラウン管の向こうからは「ゆるい」番組にしか見えないかもしれないが。

自然体でいるにしても、何万人が観てる前で台本無しにしゃべり続けて1年。
よくぞ無事だったと思う。

それなりに気を使うのである。

テレビには、差別用語などなど、言ってはならない用語がある。
法律はないが、業界的な自主規制がある。
といって、それを文書化すること事態が差別行為だから、マニュアルがない。

だから「放送禁止用語」ってやつは、実にやっかいである。

言っておくが、僕はこの世のあらゆる価値観と存在を等しく感じられる自分を信じている。

差別用語という概念自体が忌まわしい。
幸運にも外国に生まれて、差別された経験もガッツリある。
さらに日本へ帰ってからのほうが差別されたと感じているから、
それがどれだけ傷つくものかは理解しているつもりだ。

前に生放送中に「マイルスが一番キチガイだったころ」
ってほめ言葉のつもりで言って、後でそれがNGワードだったことを知った。

芸術家にとっては、「キチガイ」など褒め言葉の最上級のひとつである。

別に苦情は入らなかったが、
スタジオの空気が凍り付いた感じが忘れられない。

「あ。俺なんか言ったんだな。」
って感じで。

文脈でニュアンスを判断してほしいところだが、
そういう融通の利かないところが「決め事」なのである。

毎回がライブな点では、まさに犬式のライブと同じようなものである。
ライブには禁止用語がないから、気楽でいい。

なんでも「初めて」が一番刺激的だから、台本は要らない。
別に「テレビの人」じゃないから。

再放送ではNGワードに「ピー」音が入るから、
ネット上で「三宅は何を言ったんだ?」って騒ぎ立てるのは人の性だろうけど、
自分が当の本人だと「別にたいしたことは言ってないよ」って感じで。
憶測で話が進んでいるのを観て、
話がぜんぜん違うほうへ行ったりしてるのを眺めながら、
デマに踊らされるこうした社会性を旨く利用する音楽業界や広告業界、
戦争国家や選挙の在り方などを考えることしばしば。

1ヶ月テレ朝観続けた人と、
1ヶ月TBS観続けた人とで、
どれだけ考え方が変わるか。

人間。かくも信じやすきもの。

そのわりに街に溢れてるのは不信感ばかりだ。

真実などというのは人格が60億通りあったら、
60億通りしかないのに、
ひとつを求めて人々は何かに群がろうとする。

自分の見つけたものや感じたものを、
もっと疑い、彫り、見えなくなるまで見つめて自問自答した後に
それらの燃えかすをみつめながら宇宙の中にぽつんと居る自分と
現在もほぼ光の速さで膨張している宇宙の縁を対比して感じて、
同一化して感じて、云々、
そういう果てにみつけるのが真実の出発点だと思う。
(そこにクリエイション、創造的なエネルギーが介在すると「表現」になる。)

答は藪の中。
人の数だけ、真実は存在する。

# by dogggystyle | 2005-09-28 02:04
2005年 09月 20日

京都から下山

ここ2日間ほど、京都に居た。

ファンキーソーダというはちきれバーが、
10周年ちうことで、
周り中のお店が一体になって宇津峡キャンプ場で祝った。

犬式の演奏をfeat.元晴(SOIL&"PIMP"SESSIONS)でやった。
何度かDJブースもお邪魔した。

京都のリアルアンダーグラウンドマッシブは、やたら元気だった。
ありとあらゆる音楽が夕方から朝まで谷に鳴り響いたが、
犬式のあとのサイケデリックトランスに違和感がない
奇妙なダンスだった。
サウンドシステムが良かったのだが、システムのクルー名を忘れてしまった。
あのシステムで、思いきり土っぽいダンスを開いてみたい。
キープコンタクト、また御会いしましょう、あのシステム。


京都の地下街の人々は、
かなりオリジナルな気質で、
近くても大阪なんかとはまた質を異にする「濃さ」があって、
まるで吉祥寺にいるみたいだ、とすら思った。

あと、こういう馬鹿がはじけられる場を提供する地域が凄いと思うた。

エニウエ。
FUNKY SODAコバP、たーちを始め、各店の皆様お疲れ様でした〜。


写真:今回は慰労の意も込めて奥さんと風雅も同行。元ちゃんを操縦する風雅。
京都から下山_c0009950_22142395.jpg


# by dogggystyle | 2005-09-20 22:14
2005年 09月 10日

自然に在ると

素の自分をさらけ出すと
勘ぐり屋のキノドクさんに
「嘘くさい」と言われる。

そういう彼や彼女が僕は嫌いだ。

演じないでステージに立って
感情をさらけ出すと
それが外人アーティストだったら「凄い」になるが
日本人の僕がやると
「嘘くさい」と彼や彼女は言う。

そういう人が奇妙なまでに多い、日本のそういう所が僕は気の毒だ。

冷めてんのが、
そんなにカッコイイのか?
賢いフリするなよ。
小賢いつもりでいた学生時代に、俺も思い当たる節はあるが。
恥ずかしいから、そんなものはとっくに放棄した。

恥も照らいもなく真っ正直に思いを述べるから、
そこにはボケも笑いもないが、
少なくとも嘘はついていない。

じゃがたらの江戸アケミが唄った。

ニホンジンテクライネ
セイカクガクライネ

故に「お笑い」が流行る。
根が暗いから。

コメディとは違う、
知性の無い笑いが最近は増殖してる。
ただ笑って。
後には空虚が襲いかかる。
テレビなかったら、笑えないのかい。

ダイレクトでリアルな事を
素直に受け取れない。

小知恵が身について自分を「賢い」と自惚れた人ほど、
血をみせようとしない。

そういう奴ほど適度に世渡りが上手。

絶対にね、それじゃ良く無いと思うよ。



血の騒ぐやつに、賢くなって欲しい。
俺も手挙げてっから、そういうやつにこそ手挙げて欲しい。

じゃないと、この寒い国家は、変わらんよ。
海の外も、変えられんよ。


僕が嘘つきじゃない証拠。
嘘つきのイメージマスコットは、
こんな事をブログには書かないだろう。

誠実さ。
それこそが、今日本のアーティストに求められていることだ。

イメージ戦略で、大衆を煽動しても
人生の実りにはならない。

抑制の効かない感情だからこそ、
「アート」する意味がある。

それを貫いてる奴が、一体どれだけいる?

賢いふりして、浅知恵でクールぶってる奴が
なんだか世の中動かしてるように見えるが。
そういう現在の風潮に、終止符をうちたい。

素直が一番です。
みんな、生まれた時にはこの笑顔。
バチッ★

自然に在ると_c0009950_393476.jpg


# by dogggystyle | 2005-09-10 03:14